その叙情に
桜が散り、緑が青々としている
外出自粛なんて嘘のような、吹く風が気持ちいい日
こんな日は一年前を思い出してしまう
私を変えた一日、振り返りの独り言だ
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あの頃の私は疲弊しきっていた。
特にこれといって熱中できる趣味もなく、地元を離れて知り合いもいない土地で交友関係も深めようとしなかった。
「何が楽しくて生きているの?」と聞かれれば、答えられなかっただろう。
仕事は好きではなかった。
でも私がそこにいる理由は仕事しかなかった。
レゾンデートルと思っていた仕事によって心が蝕まれていく実感があった。
そんな私を救ってくれたのは”推し”の存在だった。
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それまでの私といえば、ロックバンドしか聴かないような人間だった。
好きなバンドがいくつかあり、大学生の時は彼らのライブに足繁く通っていた。
社会人になっても聴く音楽に変わりはなかったが、変わったことが一つあった。
ライブに行かなくなった。
正確にはライブに行く気力がなくなった。
紡がれる音楽は素晴らしいものなのに、そこへ向かう自身のマインドが耐えられなくなってしまった。
そんなこんなで2年間ぐらいは何の楽しみもなく、ただフラフラ過ごしていた(仕事はしていた)。
友達のインスタを見ては自分との生活の差のようなものを感じ、勝手にしんどくなっていた。交友関係を広げたくても何をすればいいかわからない、そんな自分にイライラして自己嫌悪になって、どんどん卑屈になっていった。
2019年、私は雷に打たれたような出会いがあった。
彼の踊っている姿に目を奪われ、声に耳が溶け、グループの音楽性の高さにグッときてしまった。それが推しであり、推しグルである。
彼らの活動、経歴、人となりについて調べていくうちにどんどん自分がハマるのが分かった。
「今日は音楽番組があるから早く帰りたい」と思ったり、「(ファンの方が考える)MVの考察が深いな~」と感じたり、今までは家と会社の往復だったものが、日常にちょっとずつ色がついていくようなわくわく感があった。
”知りたい”という欲求がここまで気分を上げてくれることを初めて知ったように思う。
そんな矢先に、仕事で不安を感じるようなことがあった。
その不安は私の心を疲弊させるのに十分なものだった。
ご飯もうまく食べれず、ずっとそのことばかり考えてしまった。ストレスで痩せるなんて迷信だと思っていたけど、その時ばかりは肌身をもって実感した。
そんな状況下で、ある日理不尽な怒りをぶつけられ、キャパシティを超える案件に爆発した。我慢して我慢して積み上げてきたものが崩れる音がした。
その日は泣きながら残業した。次の日仕事に行けないことを自覚してたから。
諸々を済ませ、後輩に指示のメモを残して帰った。
そうして、休んだ。
始業時間を過ぎてもベッドの上にいることに違和感を感じながらも、後悔はなかった。ただただぼーっと過ごした。よく晴れた日だった。
今頃の季節だったから、風が気持ちよくて物思いに耽るにはちょうどよかった。
部屋着のまま近くの公園まで行った。子供たちは学校で、そこには誰もいなかった。
ベンチに座りながらイヤフォンをつけると推しグルの曲が流れてきた。
涙が止まらなかった。
温かい風に吹かれ、時の流れを感じながら、ただただ泣いた。
あの日、あの時間、私は彼らの音楽に”救われた”。
彼らがもがきながら作った音楽は、誰にも頼ることのできなかった私を”救ってくれた”。その時のその気持ちを文字に起こさないと、と思ったのがこのブログの始まりである。(思いを書き殴っただけの内容なので、非公開にした)
それからというもの、彼らを必死で追うようになった。
毎日テレビ情報を確認し、古参の方が呟く昔の情報を知っては心がときめき、雑誌やCDの発売があればフラゲ日に行くようにし、近くで握手会をしていると知れば(外れた)、メッカのごとく会場方面を向いて心の中で手を合わせお祈りした。
彼らは断続的に何かしらを与えてくれるから、飢えることはなかったし、Twitterもよく更新してくれた。
私の日常はぱっと色づいた、間違いなく。
突然「好きな人でもできた?」と友人に聞かれたことがある。「なんで?」と聞くと、私が最近、(良い意味で)変わったように見えると。
そんなことある!?と笑ってしまったが、どうやら推しの存在は私の内面も外見も変えてくれたようだ、、、
推しと出会ってちょっとだけアクティブになった。
興味があったことの教室に通ったり、ジムに行ったり、奇跡的に一般でチケットがとれた翌朝には新幹線に乗っていたり、フットワークが軽くなった。
それまでは後のことばかり考えて卑屈をこじらせていた私が、である。
仕事とプライベートの区切りがはっきりつくようになったことも一つの変化と言える。以前までは次の日を迎えるのが怖くて、日曜日なんて憂鬱で死にたくなっていた。
それらがほぼなくなった。会社を出て、速攻イヤフォン付けたらもうプライベートなものとして何も考えなくなった。意識してそうしているのではなく、無意識裡にそうなっていた。これは本当にすごいことで、メンタルヘルス的にとても楽になった。
医学的根拠はないけど推しは医療ではないだろうか。
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私は今でも推しが大好きで、推しグルを心の底から応援している。
彼らに出会わなかったらどうしていただろう
私はあの日の挫折をどう乗り越えていただろう
ぽきっと折れた心は元には戻らなかったかもしれない
もっと前から好きになっていればよかったと後悔することが度々ある。
彼らのことは知っていたのにもっと知ろうとしなかった昔の自分にぐーぱんをお見舞いしたいと思ったことが軽く100回はある。
でもその度に言い聞かせる
「人は必要な時に必要な人と出会う」
私にはあのタイミングだったんだと思う
仕事が好きではないのに仕事しかなかった自分
そこに彩りを与えてくれた推し
きっと私だけではない
彼らが作った曲も曲に込めた思いも、ステージで身を粉にして踊る姿も、バラエティで笑っている姿も、この世界1分1秒きっとだれかを救っている
コロナの影響でツアーは全面見合わせ事実上の中止が決まった
呪っても恨んでもどうにもならない状況で、今は彼らの健康を祈って、音楽に縋って、希望をもって生きることにする
それまで私たちみんな健康で、温かいお茶でも一杯飲みながら待つことにしよう